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2006年05月24日

●[おしえて!仏教 2]教えて!先生

ツジナカヒロキから当然のようにコメントが来た。うーむ、考えるとどんどん深い方向に行ってしまうので、とりあえず彼の質問に答える。「葬式仏教ってのは日本に大乗仏教が伝わった後にできたもんなんやろうか?」

この質問は、私のゼミ教官でもある末木文美士(すえき・ふみひこ)先生に答えていただこう。末木先生は最近は特に日本思想史全般を研究されていて、著書も多数。特に葬式仏教となった日本仏教をどう捉えるか、ということについて発言している。ゼミでは平安期の仏教論書を講読しているが、ろくに漢文も読めないダメ学生である私を温かい目で見守ってくれているのである…。まあそれはさておき。

先生の最近の著書『仏教vs.倫理』(ちくま新書、2006)から引用してみる。
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 死者の法要に仏教が関与することは仏教伝来以来早い段階から見られるものであり、日本にいたるまでの各地の仏教にも等しく見られるものであるが、仏教の機能がそれを主とするようになったのは、日本のみの現象であり、それも江戸時代にまで下る。すでに室町時代の禅僧の語録には葬儀や法要での法語が多く含まれており、次第に葬式仏教化しつつある様子が知られるが、江戸時代になると、いわゆる寺檀(じだん)制度が確立する。(p.81)
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寺檀制度というのは、もともとはキリシタン排除のためにできた制度で、寺が人々(=檀家さん)の戸籍を管理するものだ。これによって人々が死んだ生まれた、というのも寺が把握するようになり、葬式に密接に携わるようになった、ということである。奈良時代からある東大寺のように、葬式をやらないお寺もわずかながらあるのだ。

大乗と小乗(=上座部/じょうざぶ)とが分離したことと、葬式仏教の誕生はイコールではないだろうとは思う。けれども、末木先生も指摘するように、死者の法要に関与すること自体は、はるか昔からあったらしい。それはどんな感じだったんだろう。

やっぱり仏教の考え方というのは、「ある地域に仏教が伝来したときに、そこにどのような思想があったか」ということに影響されて変化していくのだろうと私は思っている。日本人には輪廻という思想になじみがなかったから、阿弥陀仏で極楽浄土、というのが普及したんじゃないか。私は個人的には輪廻すると思っているけど、うーん。

そういえばこのブログ読者であるうちの学科のSさんから「死んだら恐山に行くんだよ」という話を聞いた。Sさんはこないだ恐山に行ってきて、その民間信仰などを聞いたそうだ。これも仏教と直接的に関係はないけど、こういうのが仏教と並行して現代まで存続している、それが日本という国なのである。うーん、またわからんようになってきたから、明日からの研究室旅行でいろんな人と話すことにしよう。
http://www.u-tokyo.ac.jp/stu03/guidance/H18_html/html/07/0103intetsu.html

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