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2006年06月29日

●[めんどくさい 4]携帯のメール

携帯のメールってめんどくさくないか? 文面を考えるのも大変なんやけど、一番疲れるのは「パソコンで書くよりも圧倒的に遅いこと」だ。最近は変換履歴を出してくれる機能なんかもあるので、便利な面もある。しかし、変換履歴に頼ると語彙が単調になりがちという難点もあり、楽観できない。

という話をしていたら、友達が「携帯のメールは詩だ」という話をしてくれた。「このタイミングで、この文面」という即時性が、ありとあらゆる文面を詩にしてくれるというのだ。確かに、事務連絡であろうと何であろうと自身の詩情をこめる、というのは筋が通っている。けれども、私にはちょっと難しい気がする。

携帯のメールが一番めんどくさいのは「微妙な距離感」である。それが楽しめる範囲であればいいのだが(この女の子との距離は縮まるのか?!とかね)、深刻な相談がメールで来たりすると困る。電話なら逃げることはできないが、メールは「返事を先延ばしにする」という逃げが利くし、逃げられたりもするのが厄介だ。一生懸命「(笑)」にするか「(^_^;)」にするか考えたのに、返事なしかよ…という事態も生じる。まあ、しゃあないけど。

それから、メールに限ったことではないが、携帯電話の普及で「待ち合わせ」の曖昧さが格段に増したと思う。昔は何時にここ、というのをかっちりと決めていたが、今は「携帯あるからまあ適当で…」みたいなのが多い。番号を覚えない人も多くなった。中学生の頃に覚えた友達の家の番号は今でも復唱できるけど、昔の彼女の番号はもう思い出せない。いや、思い出したくないだけか。

2006年06月28日

●[東大三十六景 4]布文館


また近場だな。ここです。

3号館地下の文学部図書室の奥。東大で一番静かなところはどこか?と言われれば、私はこの「布文館」を挙げる。自習室のようなところだ。


一面ガラスの向こうには、鬱蒼と茂る木々、そして三四郎池。電子機器の陰もないこの部屋にあるのは、大正新脩大蔵経をはじめとする仏教経典や、漢和辞典、百科事典などの辞書類。倫理学研究室の蔵書が中心らしい。咳払い一つ憚られるこの場所には、ときおり学生がページをめくる音ぐらいしかない。静謐(せいひつ)、という単語はまさにこの部屋のためにある。


最近はゼミの前にここに籠もって勉強している。総合図書館の厳かな雰囲気も悪くないが、三四郎池の自然と、文学部の蔵書がたたえる歴史、それらが入り交じったこの部屋でうたた寝するほど贅沢なことはない。あんまり教えると混んでしまうかもしれないけど、この図書館、そして布文館にはぜひ文学部生以外にも足を運んで欲しい。

●[劇薬中毒 8]軍艦島、長崎。

佐藤雄治写真展『軍艦島』@バーnagune(新宿ゴールデン街)
友人に連れられて、踏み入れたのは新宿ゴールデン街。まさか、こんな形でここではじめて飲むことになろうとは。

バーに入り、狭いカウンターを抜けて2階へあがる。天井に頭をぶつけそうになりながら、着いたそこがギャラリーである。軍艦島。長崎県に浮かぶその島には昔、三菱が所有する炭鉱があった。炭鉱が栄えていた頃には人がいて、学校があり、街があった。しかし、産出量の減少から1974年に閉山。その年のあいだに無人島になり、30年が過ぎようとしている。

軍艦「土佐」に似ていることから名付けられた「軍艦島」という名前。佐藤さんのモノクロ写真は、ゴールデン街の雰囲気とあいまって、何か切実なものを訴えかけてくる。彼が撮影した5年前は、まだ簡単に島に入ることができたらしいが、今ではそれも難しいらしい。鉄道廃線跡を歩くときのような、複雑な喪失感。「今はもうない、けれども昔、ここに人がいた」という感覚の重さは、他のものでは表現できない気がする。

個人的な話をすると、長崎は私の母方の出身地なのである。母は長崎市で生まれ育ち、祖父母は五島列島出身で、曾祖母は今でも五島に住んでいる。私は最近では2年前に行ったのだが、稲佐山からの夜景や、さだまさしの歌でお馴染みの精霊流しなど、大好きな街だ。

祖父は昔、三菱に勤めていたこともあると聞いている。今度実家に帰ったら、軍艦島の話をきいてみたい。いつも競馬の話ばっかり、というのも何だし。

2006年06月27日

●きのしたより'06/6-vol.2

▼「写真とってもらえませんか?」
学校を歩いてたら、そう話しかけられた。「男キノシタ、ついに有名人になったか!」と思い振り返ると、課外学習に来た中学生。図書館の前ではいチーズ。しかも「ところで、東大生ですか?」と訊かれる始末。当たり前やんけ!とキレるのを我慢して「うん、そうやでー。自分らどっから来たん?」「佐野です」ということで、栃木県佐野市の少年少女と交流した先週。

▼新宿で飲んで、終電で飯田橋に帰る。いつも眺めるだけだった、ラーメンの屋台に入る。酔いに任せておっちゃんと話す。かれこれ20年、この駅でやっているらしい。「最近はメシが食える居酒屋が増えたから、ラーメンで締めるってのも減ったみたいでね…」とボヤく。うまいラーメン屋は都内たくさんあるけど、もう一度行きたいのはこういう店な気がする。

▼急ですが、来月モンゴル行くことになりました。今夏旅行はそれぐらいにして、奈良でみんなを接待するつもりです。8,9月に関西に来たい人は連絡ください。泊まる場所と酒と観光ガイドぐらいは提供しますんで。詳細続報。

2006年06月24日

●[ばくちのち 9]競馬に「絶対」はないけれども

ディープインパクトという馬がいて、同じ生き物かと思えないぐらい、とにかく強いのである。明日の宝塚記念に出走してくるのだが、当然のごとく圧倒的1番人気。別に体調が悪いということもないし、負けることはちょっと考えにくい。

ただ、もちろん競馬に「絶対」はない。他の馬に進路を妨害されるかもしれないし、不幸にも故障を発生する場合もある。有馬記念のときのように、万全の体調で臨まなければ負けることだってある。ディープインパクトが本調子の8割ぐらいの場合、100%の力を出せば勝てる馬は何頭かいる。片手で数えられる程度ではあるけど。

こういう1頭が極端に強いレースは予想を当てやすい、のか? これもなかなか微妙で、今回の場合残りの馬が結構横並びのような気もするし、リンカーンやダイワメジャーあたりがちょっと抜けているような気もする。あんまり真面目に予想してない(というか、今年の上半期は結局まじめに競馬予想をせずに終わってしまった感がある)ので馬券は買わないと思うけど。

いちばん残念なのは、ディープインパクト以外に4歳馬が一頭もいないこと。この馬がいる以外、去年と顔ぶれがあまり変化していない。売り上げ落ちるんだろうな…。JRAとしても去年は手放しで喜んでたらよかったが、今年はなかなかしんどいところだろう。これが国内最終戦、ということも充分ありえるし。

2006年06月20日

●[東大三十六景 3]法文2号館開かずの扉


今回はここ、なのだが、その詳しい場所については書けない。ただ、我々文学部の各研究室や教室が点在する法文2号館のどこかに、開かずの扉があるのだ。

私を案内してくれた某友人は、ある授業で特別に先生と一緒に中に入ったらしいが、そこには、普段公開できないような文学部所有の貴重な品物がたくさんある、らしい。海外のものも少なくないようだ。

まあ、貴重とは言ってもどちらかというと珍品の系統らしく、国宝や重要文化財などではないらしい。ちなみに、東大が所有する国宝は、史料編纂所の所蔵する『島津家文書』のみである。1つ持ってるだけで充分すごいが…。

あまり立ち止まっていても周囲に怪しまれるだけなので、我々はそそくさとその場を後にした。今月は安田講堂付近の近場ばかりですが、そろそろ遠出します。あと、隠れスポットを知ってる東大生はメールください。取材に行きます。

2006年06月19日

●[おしえて!仏教 4]ブッダがなぜすごいのか?

ブッダの作った基本的仏教思想、という話だったが、これもまた難しいな。そんなん一言で表現できるわけないやん。できたら私がブッダであり、悟りに達したことになる。まあ、間違いを承知で行けるとこまで行ってみよう。

いちおうブッダが悟った内容は原始経典に書かれている。それは物事は「縁起」というものによって生じる、ということだ。簡単に言えば、原因があって結果が生まれる、という因果関係のことである。原因があるから、結果が生まれるということは、原因がなければ、結果は生まれない。つまり、苦しみから逃れたければ、苦しみの原因を除けばよい、ということになる。

なんや、当たり前やん!と突っ込むなかれ。ブッダがなぜすごいのか?ということは、いろんな人が語っているけれども、私は「苦しみから逃れたい」という動機が純粋か不純かはともかくとして、そこで奇跡とか魔術とかに逃げずに、ひたすら自分で考え続けたことではないかと思っている。そして生まれた「悟り」。

もうすこし具体的に見ていく。苦しみの原因とは何か、ということでブッダはいろいろ挙げるのだが、例えば「人を愛するから苦しみが生まれる」と言った。愛するということは、執着するということである。執着するというのは、「いつまでもその状態であってほしい」と願うことで、実際はそうもいかないから、苦しむ。だから、最初から愛するな。うん、わかりやすい。しかし、そんなことが本当にできるのか!!

私はなんとなく「むっちゃ頑張ればできなくもない」気がしてるけれども、そもそも「むっちゃ頑張る」のがブッダの教えというものへの執着な気がする。ある東大の先生(うちの教授ではない)は「まるで生きるのをやめろと言ってるかのよう」と驚嘆していた。まさにその通りである。普通の人生はやめろ、と言ってるのは間違いない。

だから、ブッダは悟ったあとに悩んだ。「この教えを広めていいのか?」と。手塚治虫の『ブッダ』にもこのシーンは出てくるが、ここで梵天(ブラフマン)というインドのえらい神様が登場し、「ブッダよ、その教えを語ってゆけ」と願ったらしい(梵天勧請=ぼんてんかんじょう、という)。そして、ブッダは布教を始めるのだ。どうして彼は語り始めたのか?語らない、という可能性もあったのに。そこだけは、どうしても理詰めでは到達できないが、何となくあるのは「私が同じ状況になったとしても、語り始めただろうな…」という共感である。

こんなものでどうでしょう。

2006年06月18日

●[雑談8]ワールドカップと私

日本対クロアチア戦が終わった。何千人、いや何万人という数の人々が自らのブログでその試合の感想やらを書きつづっているのだろう。街中にはとりあえず盛り上がりたいファンがあふれ、とりあえず飲みたい連中が酒場に集まる。

前回の日韓共催のとき、私は東京に来て1年目。右も左もわからない大学1年生だったが、世間の狂騒ぶりはよく覚えている。秋葉原の電気屋のテレビにできた外国人の人だかりは、さながら昭和30年代の日本のようであった。しかし、あの時ほどの盛り上がりはないにしても、「ワールドカップに自分の国が出る」ということが半ば当然のようになったというのは、ものすごいことではないか。

だいたい、あるスポーツが国民的になるためには、「ただ騒ぎたいから騒ぐ」という連中が登場する必要がある。サッカーは4年前、見事にその仲間入りを果たした。去年のディープインパクトも、「競馬で騒ぐ」という新たなジャンルを開拓したように思う。少し前で言えばそれは松坂大輔だし、もう少し戻れば若貴と曙の大相撲である。どれも、普段興味のない人々をものすごい勢いで巻き込んでいった。

もちろん、マスコミやら広告代理店の戦略があることは間違いない。けれども、地方競馬や競輪、競艇などの現実を見ると、サッカーをはじめとするスポーツを羨望の眼差しで見ざるを得ない。唯一救いがあるとすれば、同じサッカーでも、地域密着でそれなりにやっているJリーグだろう。地上波の全国テレビ中継が少なくても、何とかなる。新潟に行けばアルビレックス一色だし、徳島に行けばヴォルティス一色というのは私も見た。インターネットやケーブルテレビなどのインフラ普及は、マイナー競技存続の夢をつなぐのかもしれない。

2006年06月16日

●[ググるな危険 3]もう一匹の魔物

2006年06月15日

●きのしたより'06/6-vol.1


▲いや、紫陽花ってきれいですよね。いままではそんなこと気にも留めなかったけど、どこを歩いていても目に入ってくる鮮やかさ。この写真はもうひとつやけど。

▼今月はじめての「きのしたより」ですが、改めて初めての読者に説明しておくと、まあ木下修司の近況報告コーナーです。あと、読者の方からのお便り紹介なんかもやっていきたいんですが、まだメールアドレスも出してないですね、よく考えると。コメントつけるのはちょっと…という人はここにどうぞ。

▼忙しい。月~金は朝7時には必ず起きているし、寝る1時過ぎまで余裕無し。まあ、学校あるわバイトあるわ内定先でバイト始めるわボランティアやってるわに、サークルとかここの更新とか、いろいろあるんで仕方なし。何足わらじを履いているかわからんけど、きっと学校出てもこんな感じなんやろなーと思う最近。

▼そんなことを言ってるとまた新展開があって、次回作がちょっとした別方向に行くかも。詳細続報。

2006年06月14日

●[ばくちのち 8]そういう競馬はあかん。

ギャンブルを論じるときにいつも言われるのが、「楽しめたから負けてもいい」という説である。学問的なことを言うと、これは「効用を最大化させるのがギャンブルの最大目標である」という立場である。効用ってのは簡単に言えば、自分の気持ちがどれだけ満足したか、ですね。つまり、効率的な賭け方をすれば、少ない投資で高い満足が得られるというわけである。

まあそれは確かにもっともな話だけれども、ギャンブラーの立場からすれば、負け惜しみにしか聞こえないわけですよ。まず勝ってから言え、と。そりゃもちろん、購入金額のうち75%ぐらいしか配当金に回してないんだから、長い目で見れば負ける確率が圧倒的に高いですよ。でも、実際勝ってる人もいるんだし。それが偶然木下修司になる可能性は誰にも否定できない。

ただ思うのは、競馬競輪競艇オートレースと四大公営ギャンブルがある中で、競馬はやっぱり勝つのには向かないな…ということ。動物は予想しにくい、というのもあるけれども、一番大きいのは「落馬や失格があっても、馬券は返還にならない」というルール。明らかな騎手のミスなのに、とばっちりを喰らうのはギャンブラー。これはおかしい。株やってるわけじゃないんだから、そこは購入分返還するのが義理というもの。競艇でもフライングのときは返還あるし、オートレースなら事故でレース不成立、すべて返還ということも時々ある。もちろん馬は気紛れなので仕方ない面もあるけど、このルールがある限り、10万や100万といった大勝負は競馬ではできない気がするのである。

2006年06月13日

●[劇薬中毒 7]週末は文化的

▽ショー『Real Juggling』(STUDIO LOOPプロデュース)@駒場エミナース
 私の盟友であるArt Juggler Tomohiro Kobayashiに誘われて、ジャグリングのショーを観に行った。世界でもトップクラスの日本人ジャグラーが揃うこのような試みは、初めてのものらしい。
 ジャグリングの技術については、ただただ感心するばかりで、微妙な差はわからないけれども、パフォーマンスとしての「動き」の部分はもう少し良くなる余地があるような気がしたし、そうしないと「芸術」と称するレベルまでは行かないように思った。ただ、小林には「かなり練習してるだろうし、多くを求めるのは…」と言われたので、なかなか難しいのかも。何にせよ、もっとジャグリングが一般の人に馴染みあるものになるといいのだが。(6/10)

▽芝居『肉体関係』(劇団上田)@王子 pit北/区域
 座長、江戸川卍丸の一人芝居。一人芝居というものが初めてだったのだが、いつもの劇団上田のキレある動きは健在。それに江戸川卍丸のシュールな笑いが加わると、あっと言う間に50分は終わる。エンドロールは笑える。あと、pit北/区域というハコもとてもよかった。(6/11)

▽映画『雪に願うこと』(根岸吉太郎監督)@新宿テアトルタイムズスクエア
 北海道のばんえい競馬を舞台にした作品。東京国際映画祭でグランプリなどを獲得し、鳴り物入りで上映となった割には、客足はいまひとつ。まあ、嫌われ松子やダヴィンチやってるから仕方ないけど。地味と言えば地味だが、道産子の馬たちがソリをひいて戦うレースシーンは圧巻。何かと色眼鏡で見てしまう小泉今日子の役柄もいいが、やっぱり調教師役の佐藤浩市がいい。実年齢よりもいくらか上であろう役柄をきっちりとこなしている。終わり方には賛否両論あろうが、私は時間が経つにつれ、あれでもいいのか、いやむしろ、ああ終わらなければならないのか、という気がしてきた。それが「願い」というものだろう。まあ観てください。(6/11)

2006年06月12日

●[東大三十六景 2]工学部6号館のトイレ


第2回はいきなり超マニアックスポット。友人Sくんの紹介で向かうは工学部6号館。工学部のというものに、そもそもほとんど入ったことがない。ここは物理工学科と計数工学科が入っている建物。浜尾新先生の写真を撮影したあと、偶然通りかかったSくんにこのコーナーの話をしたら、ここに案内してくれたのである。「ここの地下のトイレがちょっと面白いんですよ」と、Sくん。


地下へと降りる途中にあるのが女子トイレと男子トイレ。見た目は普通だが、右側の貼り紙。拡大してみると、


うーむ。なんとも皮肉のこもった文章ではないか。愛煙家と持ち上げておきながら、それをイコール「承知の上で臭くなりたい人」という定義をするあたり、手厳しい。誰が書いた文章なのか、よくわからないところも注目である。工学部の事務なのか、はたまた学生なのか。


ちなみに中はフツーのトイレでした。

2006年06月11日

●[雑談7]印哲を捨てよ、町へ出よう

「キノシタさん、ですよね」
先日とある授業で、見知らぬ女学生に声をかけられた。
「はい、そうですけど」
「キノシタさんってインド哲学なんですよね!」
東京大学文学部思想文化学科インド哲学仏教学専修課程。通称「印哲」。これが私の所属である。

その女学生(Aさん、としよう)は、私が別の授業で仲良くなった女学生Bさんの友人らしい。Bさんが「最近インテツの人と仲良くなったんだよー」とAさんに話し、「私も授業にインテツの人いるよー」とAさんが答え、話していくうちに同一人物キノシタであると判明し、上記の会話になったわけだ。

Aさんは真顔で「東大の印哲出ると仏教界の重鎮になれるってホントですかー」と私に訊いてきた。友人の僧侶(同級生)の話によると、確かに学問的には一定ラインであると認められるのは事実らしい。けれども、出家もしてないのに印哲卒業したからと言って、即重鎮、なわけないやん。東大生、しかも文学部生でもこの程度の認識なのである。

しかし、だからと言って彼女たちが悪いわけでもない。文学部はとにかく縦割り社会で、他の学科の授業にそんなに出なくても卒業できてしまうし、出たとしてもゼミではない講義だから存在感はない。しかも「世を捨てて進学する」とイメージされがちな印度哲学の場合、長年にわたって形成されてきたイメージがある。私たち学生も、それを払拭しようという努力もなく、なんとなく日々のサンスクリット語やらパーリ語やらの学習にいそしむ。

私などは学習にいそしみなさすぎで、それも問題なのだが、世間一般はともかく、そこそこ賢い連中にさえ「哲学」と付くと特別視される(インド、などと付くと辛さ3倍増である)状況は、何とかしなければならないのではないか。哲学がすべての学問を統括する時代はとっくの昔に終わったけれども、動物園のゾウになるために哲学やってるわけではない。難しい議論をふっかけろと言うわけではない。何かしら別の場所で「存在感」を示さないと、いつまでたっても「珍しい」だけのインテツで、「あたしには関係ない『仏教』」のままではないか?

印哲を捨てよ、町へ出よう。

2006年06月10日

●[はじめての… 7]ボランティア

就職活動も終わったので、心機一転ボランティアを始めることにしたんですよ。場所は東大病院。「にこにこボランティア」という名前で、外来患者さんの案内など様々な業務を行う。日本の病院ボランティアのなかでは先駆けらしい。

「ボランティア」というと結構な割合の人が「いかがわしい」とか「偽善的」と(たとえ冗談半分にしても)言っているような気がするのだが、私は前から一度やってみたかった。人のためになりたいとか、人のためになることで自分の存在意義を確認したいとか、そんな大きな理由はない。何となく、である。実際、夜中にひとり部屋で酒を飲みながらネットしていたときに、このボランティアの申込締切が明日であることを発見し、翌日そのままの勢いで電話していなければ、何も起こらなかったのだ。

いまは週1回、3時間しか入っていないのだが、たかが3時間されど3時間。東大病院というのは一日に外来だけで3000人前後が来るのだが、診察券を機械に入れて受付するのを手伝ったり、道案内したり、何だかんだと覚えることが多くて大変である。結構テンパる。肝心の「にこにこ」は、結構バイトなんかでもやっているので慣れているが、業務自体に慣れるにはまだ時間がかかりそう。朝8時半から入ることが多いのだが、終わるとクタクタで、次の3限の授業は半分ぐらい寝ている。先生ごめんなさい。

でも、ボランティアの先輩方(多くは年配の女性、たまに年配男性や若い女性、ごくまれに私のような男子学生)は「私たちはボランティアやってるのよ!」的なオーラなど全くなく和気あいあいとしていて、とても楽しい。こないだは初めて院内学級に行く子どもの送迎をしたけど、それもまた楽しい。資本主義で経済がどうたらこうたら、というめんどくさい社会になってるけれども、「ありがとう」という言葉から貰えるパワーはプライスレスなんだなあ、と月並みながら思うのである。

2006年06月09日

●[ばくちのち 7]馬券の買えない青年 後編

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いよいよ発走となっても、大井競馬場は大混雑というわけではない。オッサン、会社帰りのサラリーマン、ときどきカップル。これぐらいの混み具合で大レースが見られるというのが、何ともありがたい。

ファンファーレが鳴り響く。今年は地方競馬協会が「ダービーウィーク」と称して、今週に日本各地で「ダービー」と名の付くレースをやっているようで、新しい旋律である。歓声に続いて、馬が次々とゲートに入ってゆく。最後に大外枠の16番サンキューウィンが入って完了。ゲートが開き、歓声が夜空にとどろく!第52回、東京ダービーが始まった。

馬はコースをぐるっと1周する。スタート地点から直線、我々の目の前を16頭が駆け抜けてゆく。ドドドッ、ドドドッという足音、そして拍手。その後に吹く赤茶けた砂ぼこり、それは風に乗って夜空へと舞い上がる。月が見える。

レースはサンキューウィンの逃げで始まった。快調に先頭を走る。1番人気シャイニールックは4番手、「佐々木の予想」が対抗馬に推したトキノシャンハイは後方から5頭目、そのさらに後ろに私の夢、サワライチバン。あれ、逃げ馬じゃなかったっけ?

いろんな人の夢を乗せて走る16頭、あっという間に最後のコーナーを回り、ゴール前の直線に戻ってくる。と、同時にスタンド全体から響きわたる、声とも何ともつかない怒号。サンキューウィンはまだ逃げるが、そこに並びかけるシャイニールック、しかし並びそうでなかなか届かない。これは逃げ切りか?と思わせたところで外から追い込んで来たのが山田騎手のトキノシャンハイ!佐々木の予想、田倉さんの夢が勝つのか?外からは何も来ない、これは決まったか、

に見えたところで内から芦毛の馬がスルスルとサンキューウィン、シャイニールックを交わす!あれは何だ?私は目を疑う。「ビービートルネード!ビービートルネード!」実況アナが叫ぶ。「町田!」私も思わず叫ぶ。一度は勝ったかと思ったトキノシャンハイを内側から差し切ったところがゴール。町田直希騎手が高々とガッツポーズ。「マチダナオキです!」実況に場内は騒然。それもそのはず、町田騎手は去年デビューしたばかりの新人なのだ。

私ははずれた馬券のことなど忘れて、しばし呆然としていた。ウィニングラン(大きなレースのときは、勝ってからコースをもう1周するのだ)では、一時は騒然としていた場内からも暖かい拍手、そして「ナオキ!」という声が飛ぶ。初々しい町田騎手はファンに終始頭を下げている。私も「おめでとう!」と声をかけた。1988年生まれの18歳、馬券の買えない青年が、大きな勲章を手にした瞬間だった。
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▲表彰式  詳しいレース結果、映像はこちら

2006年06月07日

●[ばくちのち 7]馬券の買えない青年 前編

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「本線、裏はねえよなぁー。でも、俺は買うよ。期待もあるね、そろそろ勝って欲しいっていう」
いつもの江戸っ子訛りで言うのは、南関東名物の予想屋「佐々木の予想」の田倉さん。的中率の高さもさることながら、落語家のような聴いていて飽きない喋りが魅力である。2006年6月7日、今日は南関東地方競馬最強の3歳馬を決める「東京ダービー」の日である。JRAのダービーと比べれば、馬の実力も低いし人出もそんなではない。けれども、積み上げてきた伝統は重い。

用事があったので、大井競馬場に駆けつけたのは午後7時過ぎ。もう第10レースは発走寸前だったので、メインの第11レース、東京ダービーを予想するばかりだ。去年はバイトのせいで馬券しか買えなかったが、3年前のナイキアディライト、2年前のアジュディミツオーと、生で観戦してきた。私にとっても思い出深いレースである。

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競馬新聞を買うのは勿体ないと思って、100円で買った「佐々木の予想」がこれだ。3番シャイニールックを本命に8番トキノシャンハイ、16番サンキューウィン以降5,1,10と流している。「=」というのは「1着2着は入れ替わるかもしれないよ」という意味。つまり、前述の田倉さんのセリフを翻訳すれば「1着3番2着8番になるか、1着8番2着3番になるかと言えば、たぶん前者だと思うけど、俺は8番を応援してるから後者に期待したいな」ということである。トキノシャンハイ、ジョッキーは山田信大(のぶひろ)、デビュー15年目の32歳。田倉さんの夢はここにあった。

しかし、それでも夢を本命にしないのが予想屋稼業。3番シャイニールックは確かに強そうである。というか、この馬があっさり勝たなければ「ことしの南関東馬は弱い」という烙印を押されかねないのだ。調教師の川島正行は東京ダービー3連覇をかける。ここにも、みんなの夢がある。単勝1番人気、1.8倍。

私の夢は13番、サワライチバンである。前走、南関東3冠レース第1弾の羽田盃は人気になりながらも7着惨敗。しかしそれまで連勝していたように、決して弱くない。鞍上は乗り変わって、島根県・益田競馬(4年前に廃止)の元トップジョッキー御神本訓史(みかもと・のりふみ)。苦労人ではあるが、まだ24歳の若手である。「武豊の再来」とまで謳われた彼に、そろそろ祝杯を。そんな夢を見てみた。

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しかし、今年はシビアに馬券。検討もしていないので「佐々木の予想」を信用してシャイニールック。応援馬券でサワライチバン。そして2つを絡めて3連単。東京ダービーだけは、自分の中ではお祭りである。ルール違反の1000円を投入して、レースの発走を見守る。

●[ググるな危険 2]守れ、あの娘のミクシィ処女

2006年06月06日

●[おしえて!仏教 3]日本むかしばなし

研究室旅行で色んな人と話せたところまではよかったのだが、別に何か結論が出たということもない。しいて言えば、私の次回作の小説は官能小説で、フランス書院に投稿するということが決定したぐらいか。うーん、これはこれでレベルが高いぞ、そのうち別コーナーになるかも。

そんな破戒僧やってるうちにツジナカヒロキから電話が来た。宗派によっての違い、とか聞きたいことはいろいろあるらしいけど、とりあえず「日本に仏教が来るまでの流れ」を知りたいらしい。なるほど。倫理の授業みたいになるけど、まあ9月には教育実習も控えてるし、ちょうどええやん。

ブッダという人は、だいたい紀元前5世紀ぐらいのインド人。そのころのインドというのは今みたいなヒンドゥー教はないけれども、バラモン教とか、いろいろな思想はあった。ブッダ(元の名をゴータマ=シッダールタ)は、ちょっとした国の王子だったが、人生に悩んで出家。いろいろ修行したけど納得いかず、自分で発明したのが仏教である。まあこのあたりは手塚治虫『ブッダ』でも読めばいいので省略。

ブッダが死んだあと「このままやと教えがなくなってまうやん!」ということで、教団みんなが集まって教えを記録して「経典」ができる。でも解釈の違いとかで徐々に教団は分裂していく。最終的に日本に伝わる「大乗仏教」が生まれるのが紀元前1世紀。この時代はキリスト教も生まれているし、中国では儒教が国の教えとなったりしていて面白い。

大乗仏教はものすごく簡単に言うと「自分の修行よりも他人の救済」を目指す、現実的?な教えである。それがシルクロードを経由して中国に伝わる。そのときに漢文に翻訳される。朝鮮に伝わる。それで日本に伝わったのが西暦538年だな、確か。

対して、大乗仏教じゃない仏教(上座部仏教という)はインド南部からスリランカ、ビルマ、タイのほうへと伝わっていく。こっちは「他人というより自分の修行」である。これも今でも続いていて、タイなんかに行くと雰囲気がよくわかる。ついでにインドで仏教がどうなったかというと、ヒンドゥー教やイスラム教に圧迫されていって13世紀あたまに滅びてしまう。この最終期の仏教の教えは途中何度かチベットに伝わっていて、今でもチベット仏教として残っている。中国共産党やダライ=ラマの話は各自調べるように。

だいたいの流れはこんな感じか。仏教誕生からざっと2500年ぐらい経ってるわけだが、日本での歴史は1500年ぐらいと、短いような長いような。そんでもって仏教の面白いところは、日本のみならず各地で土着の信仰と結びついて微妙に変化しまくっていることである。さあ次は何を説明したらええんや、医者のタマゴよ!

2006年06月05日

●[東大三十六景 1]浜尾新先生

就職も決まったので、無難に卒業すれば今年で東大生としての生活も最後だ、と最近気づいた。だから何だ、と言われればそれまでだが、ちょっと「2006年の東大の風景」を記録してみたくなったのだ。特に、将来誰も語らないような部分を。


第1回は浜尾新(はまお・あらた)先生である。東大生以外には誰やねん、という感じかもしれない。いや、東大生も「誰やねん」と思ってるかもしれんな。しかし、地図で言うと三四郎池の左横にある小さなグレーの丸、これが浜尾先生の肖像である。ここまで説明すると3分の1ぐらいの学生は「あ、そんなんあるなあ」ぐらいには思うのではないか。

最近文化資源学の木下直之教授(私とは関係ないよ)などが本を書いているので、ほんの2、3年前に比べれば知名度はだいぶ上がったと思われるが、まあ知れている。


浜尾先生は戦前、東京帝大の総長であった。詳しくはここを見てもらうといいが、忘れ去られるべき経歴の持ち主ではない。確かにその存在感は依然として健在なのだが、ただ「デカい」だけである。


恐らく問題は、手前の「像生先新尾浜」や、肖像奥にある漢文の解説が読めなくなった東大生のバカさ加減にあるのだろう。おまけに落書きまでされる始末。あと50年もすれば、壊すのがめんどくさいからただ残っているだけ、になりそうだ。いや、むしろ今すでにそうなのか?

2006年06月04日

●[ググるな危険 1]mixiで公開、全面戦争


2006年06月01日

●[劇薬中毒 6]富弘と母と私

▽富弘美術館@群馬県みどり市
印度哲学研究室の旅行で足利~足尾と回ったのだが、その途中に急遽寄ることになった。「トミヒロビジュツカンに行きます」と聞いて、「トミヒロってどこの地名やろ?」と思ってしまった。まさかあの星野富弘だとは。

群馬県勢多郡東村、現みどり市が彼の出身地である。体育教師であった彼は1970年に頸椎を損傷し、手足の自由を失う。そこから生まれた「口」で筆をくわえるという技術。「愛、深き淵より。」をはじめとする詩画集はミリオンセラーにもなったのでご存じの方も多いだろう。

私の家では、母が買った彼の本が並んでいたのを覚えている。美術館に入る直前に、私が何歳の頃だったかは覚えていないが、おもむろに彼の本を本棚から取り出した母が、星野富弘その人について熱く語っていたシーンが脳裏に蘇った。記憶ってすばらしい。

と、言うと私も彼のファンだったかのようだが、実はちゃんと星野さんの作品を見るのはこれが初めてだった。一見すると相田みつをのような、メッセージ性が少し鼻につく詩かもしれない。しかしそれが、美しい花々、ときに野山の景色と共に並ぶと、それは「生きている」歓び以外の何でもない。

富弘作品を評価するとき、どうしても彼の境遇を考えてしまい、なかなか作品を単独で評することは難しい(それはある種ポストモダン的な批評なのかもしれんが)。確かに、私が言っても説得力ないよなぁ、という詩もあると思うが、なかなかどうして、絵がなくても、彼の背景を知らなくても、詩だけで魅せてくれる作品もいくつか存在したように思う。滞在時間は短かったし、研究室の他の人たちはそんなに心打たれることもなくこの美術館を後にしたのだろうが、私はひとり絵葉書を買い、母へ手紙を出した。(5/26)
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