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2006年06月11日

●[雑談7]印哲を捨てよ、町へ出よう

「キノシタさん、ですよね」
先日とある授業で、見知らぬ女学生に声をかけられた。
「はい、そうですけど」
「キノシタさんってインド哲学なんですよね!」
東京大学文学部思想文化学科インド哲学仏教学専修課程。通称「印哲」。これが私の所属である。

その女学生(Aさん、としよう)は、私が別の授業で仲良くなった女学生Bさんの友人らしい。Bさんが「最近インテツの人と仲良くなったんだよー」とAさんに話し、「私も授業にインテツの人いるよー」とAさんが答え、話していくうちに同一人物キノシタであると判明し、上記の会話になったわけだ。

Aさんは真顔で「東大の印哲出ると仏教界の重鎮になれるってホントですかー」と私に訊いてきた。友人の僧侶(同級生)の話によると、確かに学問的には一定ラインであると認められるのは事実らしい。けれども、出家もしてないのに印哲卒業したからと言って、即重鎮、なわけないやん。東大生、しかも文学部生でもこの程度の認識なのである。

しかし、だからと言って彼女たちが悪いわけでもない。文学部はとにかく縦割り社会で、他の学科の授業にそんなに出なくても卒業できてしまうし、出たとしてもゼミではない講義だから存在感はない。しかも「世を捨てて進学する」とイメージされがちな印度哲学の場合、長年にわたって形成されてきたイメージがある。私たち学生も、それを払拭しようという努力もなく、なんとなく日々のサンスクリット語やらパーリ語やらの学習にいそしむ。

私などは学習にいそしみなさすぎで、それも問題なのだが、世間一般はともかく、そこそこ賢い連中にさえ「哲学」と付くと特別視される(インド、などと付くと辛さ3倍増である)状況は、何とかしなければならないのではないか。哲学がすべての学問を統括する時代はとっくの昔に終わったけれども、動物園のゾウになるために哲学やってるわけではない。難しい議論をふっかけろと言うわけではない。何かしら別の場所で「存在感」を示さないと、いつまでたっても「珍しい」だけのインテツで、「あたしには関係ない『仏教』」のままではないか?

印哲を捨てよ、町へ出よう。

コメント

へぇ、、、「印哲」ってそういうイメージなんですか???知りませんでした。 
 
 羨ましいですね、知らない女の人に話し掛けられて笑

確かに「インテツ」と言っても「何のことかわからん、そんな略し方をするな」という人は多いですね。むしろそれが一番多数派なのかもしれない。私が意識しすぎなのかも。

知らない女の人に話しかけられても、羨まれるような展開にはなりませんよ >つっちー

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