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2006年06月19日

●[おしえて!仏教 4]ブッダがなぜすごいのか?

ブッダの作った基本的仏教思想、という話だったが、これもまた難しいな。そんなん一言で表現できるわけないやん。できたら私がブッダであり、悟りに達したことになる。まあ、間違いを承知で行けるとこまで行ってみよう。

いちおうブッダが悟った内容は原始経典に書かれている。それは物事は「縁起」というものによって生じる、ということだ。簡単に言えば、原因があって結果が生まれる、という因果関係のことである。原因があるから、結果が生まれるということは、原因がなければ、結果は生まれない。つまり、苦しみから逃れたければ、苦しみの原因を除けばよい、ということになる。

なんや、当たり前やん!と突っ込むなかれ。ブッダがなぜすごいのか?ということは、いろんな人が語っているけれども、私は「苦しみから逃れたい」という動機が純粋か不純かはともかくとして、そこで奇跡とか魔術とかに逃げずに、ひたすら自分で考え続けたことではないかと思っている。そして生まれた「悟り」。

もうすこし具体的に見ていく。苦しみの原因とは何か、ということでブッダはいろいろ挙げるのだが、例えば「人を愛するから苦しみが生まれる」と言った。愛するということは、執着するということである。執着するというのは、「いつまでもその状態であってほしい」と願うことで、実際はそうもいかないから、苦しむ。だから、最初から愛するな。うん、わかりやすい。しかし、そんなことが本当にできるのか!!

私はなんとなく「むっちゃ頑張ればできなくもない」気がしてるけれども、そもそも「むっちゃ頑張る」のがブッダの教えというものへの執着な気がする。ある東大の先生(うちの教授ではない)は「まるで生きるのをやめろと言ってるかのよう」と驚嘆していた。まさにその通りである。普通の人生はやめろ、と言ってるのは間違いない。

だから、ブッダは悟ったあとに悩んだ。「この教えを広めていいのか?」と。手塚治虫の『ブッダ』にもこのシーンは出てくるが、ここで梵天(ブラフマン)というインドのえらい神様が登場し、「ブッダよ、その教えを語ってゆけ」と願ったらしい(梵天勧請=ぼんてんかんじょう、という)。そして、ブッダは布教を始めるのだ。どうして彼は語り始めたのか?語らない、という可能性もあったのに。そこだけは、どうしても理詰めでは到達できないが、何となくあるのは「私が同じ状況になったとしても、語り始めただろうな…」という共感である。

こんなものでどうでしょう。

コメント

皆に教えを広めて、同じこと考えさせて、誰かに答えだしてほしかったのかも。むしろそれを広げろと言った神様自体知りたかったのかも。

こんばんは。お邪魔します。
「おしえて!仏教」、おもしろかったです。

“そもそも「むっちゃ頑張る」のがブッダの教えというものへの執着な気がする。”
というところが、なるほどって思った。

ちょっと話がそれるかもしれないけど、最近、人間って「理由」がないと何も行動できない生き物なんだなあ、っていうことを考えてます。
「理由」のない生き方は「価値がない」。
ほんとそうかなあ?
仕事のしすぎでしょうか。

>シゲオ
答えを出して欲しかったかどうかはともかくとして、「同じことを考えさせたかった」というのは一理ある気がする。仏教全般、思考の結果よりも過程を重視する傾向は感じるなぁ。

>aiconさん
どうもこんにちは。ありがとうございますー。

何かと理由をつけたがるというのは同感です。他人の行動に理由をつけないと不安になる、だから理由のない行動を非難する。なんとかならないんでしょうかね…。

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