●希望のふりかけ
夢や希望というのはふりかけのようなもので、あればあったでうれしいが、なかったらなかったで、別に困りはしない。
ない方が好き、という人もいるし、おかずがないときは、という人もいる。
ごはんがあれば、それでよいのだ。
あ、腹減った。
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夢や希望というのはふりかけのようなもので、あればあったでうれしいが、なかったらなかったで、別に困りはしない。
ない方が好き、という人もいるし、おかずがないときは、という人もいる。
ごはんがあれば、それでよいのだ。
あ、腹減った。
いまから東京に戻るのだが、この数日実家で実験的にマインドマップを使ってみた。
FreeMindというマインドマップ作成ソフトを使った。
これを初めて見たのは会社のミーティング。なかなか使い勝手がよい。
この手のメソッドに共通して言えるのは、向き不向きがあるということ。ぼくにはマインドマップが使いやすい、というだけである。でも、興味のある人はぜひ。あ、ボチボチ電車に乗らねば。
ひとむかし前までは、都会でない場所で生きるということ=投了、オワみたいな構図があったように思う。ここでいう昔というのは1990年代初頭までを指す。
確かに、あの頃の情報流通手段であれば、田舎でできることというのは、テレビなどメディアの情報を一方的に受けることだけだった。自分から発信するということは、不可能ではなかったにせよ、難しかった。
しかし、ブロードバンドが発達した今、情報における地域格差は皆無に近づきつつある。奈良南部の日本最後の秘境・十津川村でさえ、ケーブルテレビ局は入っているし、フレッツ光でインターネットができる。と、いうことは、情報の送受信は十分に可能ということだから、送受信できるような成果物をつくる仕事であれば、十分可能であると言える(もちろん、安定性の保証など微妙な問題は残っているけれども)。
だとすれば、そういうIT田舎仕事のライフスタイルがもっと増えてもいいはずで、いまそういう人が少ないのは、「単に黎明期なだけ」と考えるのがごく自然だ。成功例として挙げるには憚られるが、プログラミング言語Rubyの作者Matz(まつもとゆきひろ)氏なんかは島根の松江でがんばっている。
まあ、この人はどこにいても優秀だから生きられるとも言えるのだが、別にそんな優秀でなくても、ボチボチ生きる道はあるように思う。そして、それを自らの生き方として、理論・実践両面から模索するのが当面のぼくの課題である。
東京に来て6年半、最近ことあるごとに「近いうちに奈良に帰る」と言っている。実際、適当な在阪企業に就職して奈良に帰るつもりだったのだが、諸事情あって(未練があって)3年間の延長戦に入り、現在に至る。
そして、延長戦も1年半となった。PL学園vs横浜的には延長12回ぐらいである。試合経過がどうなっているのか、いまいち自分でも把握しきれていない。
なぜ奈良に帰るのか?という疑問を持つ人も多いと思われるが、その部分に関しては、結構スマートに解決している。いくつか列挙すると、
1.親(含めた家族)の面倒を見たい
2.もともと地元で働きたいと思っていた
3.奈良という街、含めて関西が好き
4.東京はあまり好きではない
といったあたりか。
ごくごく少数ながら、奈良が好きで奈良に住みついた県外出身者、もいるわけで、東京ほどは無理にせよ、そういう人をこれから増やしたい。ここでも、定期的に奈良のことについて考えてみたい。
せんとくんやまんとくんやなーむくんには負けられない。
当たり前なのだが、その日その日に起こったことは、記録しておかなければ忘れてしまう。そして、記録すべきときには、記録する余裕はない。
昔から、旅の最中に自分の写真を撮ってもらうのが苦手だった。あの「写真撮ってもらっていいですか」という台詞が、あまりにも自分の「旅」イメージと不釣り合いだった。その台詞を吐く暇があるなら、旅をする自分に浸りたかった。今でもそうだ。
記録媒体が発達したいま、記録すべきときに記録できる、というのは、記憶するよりも大した才能だ。いや、才能というより、一種の職能か。記録媒体の進化は人間のライフスタイルを変えた。いわゆるITに始まったことではないが。
と、いうようなことを考えるぼくとは関係なく、近鉄電車は伊勢路を急ぐ。