●奈良で生きる(2)
ひとむかし前までは、都会でない場所で生きるということ=投了、オワみたいな構図があったように思う。ここでいう昔というのは1990年代初頭までを指す。
確かに、あの頃の情報流通手段であれば、田舎でできることというのは、テレビなどメディアの情報を一方的に受けることだけだった。自分から発信するということは、不可能ではなかったにせよ、難しかった。
しかし、ブロードバンドが発達した今、情報における地域格差は皆無に近づきつつある。奈良南部の日本最後の秘境・十津川村でさえ、ケーブルテレビ局は入っているし、フレッツ光でインターネットができる。と、いうことは、情報の送受信は十分に可能ということだから、送受信できるような成果物をつくる仕事であれば、十分可能であると言える(もちろん、安定性の保証など微妙な問題は残っているけれども)。
だとすれば、そういうIT田舎仕事のライフスタイルがもっと増えてもいいはずで、いまそういう人が少ないのは、「単に黎明期なだけ」と考えるのがごく自然だ。成功例として挙げるには憚られるが、プログラミング言語Rubyの作者Matz(まつもとゆきひろ)氏なんかは島根の松江でがんばっている。
まあ、この人はどこにいても優秀だから生きられるとも言えるのだが、別にそんな優秀でなくても、ボチボチ生きる道はあるように思う。そして、それを自らの生き方として、理論・実践両面から模索するのが当面のぼくの課題である。


コメント
そのSolutionを選んだ場合、営業力と言うやつが物を言うと考えております。
東京に居て、現地(東京)で話し合えるなら、そっちの方が楽という客視点ですね。
確かにインフラはものすごく展開されていますし、差は無いのですが、まだまだ、コミニュケーション手段の基本が実際会うことである限りは難しいんでしょうね。
良い例が常駐開発といいますか……。
何にせよ。今のこの抜け出せないだらだらを駆逐していただきたいものです。
Posted by: Y.GORO!! | 2008年08月13日 12:46
営業力ですか...あまり期待できないですね(笑)
そのコミュニケーションの差を埋める画期的なツールを妄想してます。
Posted by: きのした | 2008年08月16日 09:56