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2009年11月21日

●無趣味はすすめない

けっこう前から「趣味は何ですか」と聞かれて困っている。困っている理由は簡単で、趣味がない。
世間の人が言う「趣味」があまり理解できない。

生活における全ての所作は、結局「生きる」ということだけではないかと思う。これは言語的には「生きるということは生きるということだ」としか言ってないのであまり意味はないのだが、やはり生きるということは生きる以外の何ものでもないと思う。趣味であるとか趣味でないという定義をして区切ることに意義を感じない。

とか思っていると村上龍が「無趣味のすすめ」という本を出しており、こないだ立ち読みした。
http://remote.seesaa.net/article/94522722.html
あたりに原典となる雑誌記事の引用があるが、やってることは全部金銭と結びついてるから俺には趣味なんてねえ、という話である。彼は根元となる動機を「金銭」という外部においている。心理学で言うところの「外発的動機づけ」であると思う。まあ、経済云々を語る村上さんらしいと思う。

しかし、木下修司の動機は金銭ではなくて、単に「木下が考えて、それを何かしらに表現することの繰り返し」である。その場所はここであったり、その他の場所であったりするのだが、すべての行為は「何かしら考える」ための根源であり、そこに金銭が絡むかどうかはあまり関係ない。仕事におけるプログラム設計も、土曜日の青空も、トイレ掃除も、相撲観戦も、家庭内の問題も、そこから何かを考え、得るという意味で等価だ。

上に書いている村上さんの話ではないが、趣味という概念は学校とか仕事とかそういう「そのときに社会的にしなければならない何か」の対義語としていつも置かれていて、何となく切ない。その枠組みに無理に縛られることもない。区切りをつくるとそこに意味が生じて、そこからいろいろと余計なことを考えないといけなくなり、難しくなる。シンプルに考えるほうがきっと人生は楽しい。

ただ、あまりすすめられる道ではない。シンプルに考えるというのは、それはそれで険しい。

コメント

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