2009年05月24日

●関西インフル潜入記

大阪に来た。豚インフルエンザの実情調査、ではなくただの出張。

大阪でこそマスク着用者をたくさん見るが、きのう夜の奈良方面行きの車両乗車数が約70人、そのうちマスク着用者は10人もいない。関西でも温度差があるようだ。

2009年03月31日

●菜の花

三重県は鳥羽に、フェリーで行った。豊橋から電車とバスで2時間弱、伊良湖岬。

渥美半島は菜の花シーズンの終わりだった。桜もよいが、菜の花の黄色もよい。

2008年08月12日

●奈良で生きる(2)

ひとむかし前までは、都会でない場所で生きるということ=投了、オワみたいな構図があったように思う。ここでいう昔というのは1990年代初頭までを指す。

確かに、あの頃の情報流通手段であれば、田舎でできることというのは、テレビなどメディアの情報を一方的に受けることだけだった。自分から発信するということは、不可能ではなかったにせよ、難しかった。

しかし、ブロードバンドが発達した今、情報における地域格差は皆無に近づきつつある。奈良南部の日本最後の秘境・十津川村でさえ、ケーブルテレビ局は入っているし、フレッツ光でインターネットができる。と、いうことは、情報の送受信は十分に可能ということだから、送受信できるような成果物をつくる仕事であれば、十分可能であると言える(もちろん、安定性の保証など微妙な問題は残っているけれども)。

だとすれば、そういうIT田舎仕事のライフスタイルがもっと増えてもいいはずで、いまそういう人が少ないのは、「単に黎明期なだけ」と考えるのがごく自然だ。成功例として挙げるには憚られるが、プログラミング言語Rubyの作者Matz(まつもとゆきひろ)氏なんかは島根の松江でがんばっている。

まあ、この人はどこにいても優秀だから生きられるとも言えるのだが、別にそんな優秀でなくても、ボチボチ生きる道はあるように思う。そして、それを自らの生き方として、理論・実践両面から模索するのが当面のぼくの課題である。

2008年08月11日

●奈良で生きる(1)

東京に来て6年半、最近ことあるごとに「近いうちに奈良に帰る」と言っている。実際、適当な在阪企業に就職して奈良に帰るつもりだったのだが、諸事情あって(未練があって)3年間の延長戦に入り、現在に至る。

そして、延長戦も1年半となった。PL学園vs横浜的には延長12回ぐらいである。試合経過がどうなっているのか、いまいち自分でも把握しきれていない。

なぜ奈良に帰るのか?という疑問を持つ人も多いと思われるが、その部分に関しては、結構スマートに解決している。いくつか列挙すると、
1.親(含めた家族)の面倒を見たい
2.もともと地元で働きたいと思っていた
3.奈良という街、含めて関西が好き
4.東京はあまり好きではない
といったあたりか。

ごくごく少数ながら、奈良が好きで奈良に住みついた県外出身者、もいるわけで、東京ほどは無理にせよ、そういう人をこれから増やしたい。ここでも、定期的に奈良のことについて考えてみたい。

せんとくんやまんとくんやなーむくんには負けられない。

2006年10月19日

●[おいでー奈良 6]さいなら、また!

今夏実施した「おいでー奈良!」キャンペーンの総括をしておこう。記事は8/25で終わったが、そのあと友人および友人の連れてきたイギリス人青年を案内したり、自転車旅行の旅途中に寄ってくれたりと、色々ありました。拙いガイドをここで詫びておきます。

改めて奈良県の良さに気づいた夏ではあったけれども、別に奈良が日本のなかでも屈指の素晴らしい地域だ、と言うつもりはない。むしろ、大したことない部類に入ると思う。そもそも奈良公園の鹿だって、観光客誘致の一環で明治時代に連れてきただけやし。

しかし、この「大したことのなさ」が、京都のぎっしりと神社仏閣が詰まった旅に飽きた人には受ける、のかもしれない。その代表が、平城宮跡だろう。西大寺駅と新大宮駅という、奈良市いや奈良県でも有数の繁華街?の間にドーンと位置する空白。そこにあるのは公園というか、草原というか。最近でこそ朱雀門が復元されたり、平城遷都1300年を前にいろいろやっているが、やっぱりそれは「空白」でしかないと思う。しかし「開発しようと思ったらできるやろけど、まあええやん」という、奈良県の精神性の象徴とも言えるのではないか。

最後に、平城宮跡がラストシーンに登場する小説を引用して、このシリーズを終えたい。さいなら、また!

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 それから一週間してぼくは今度は大阪に出張したのだけれど、そこでも半日余った時間ができたので奈良の平城京の跡に行ってみた。平城京の跡は今ではただの公園のようになっていて何もない(周辺部には木が生えていて公園のように使われていたが、条理に区画された中心部には木も生えていなかった)。その何もないところに当時の再現のようにして南北二百メートル東西百メートルぐらいに仕切られた区画がいくつかあって、それが一メートル程度の高さに土が盛ってあり、ぼくはその上も歩いたが何もないことに変わりはなかった。
 平安京なら造られてからずっと人がそこで生きてきたが、平城京は何もなくなってただ条理の形跡を留めるだけの平らな土地が残された。夏草だけが生えた何もない地面を歩きながらぼくは、長い長い空白の時間を越えて平城京の時代に生きた人たちのざわめきが聞こえてくるような気がしたのだけれど、真紀さんはそれはやっぱりただの空白でしかないと言うのだろうかと思った。


2006年08月25日

●★告知★ おいでー奈良!(5)吉野の里に

奈良県南部への興味が深まる中、高校時代の友人と吉野に行ってきた。意外にも遠足などで行ったことがなく、これが初めてなのである。橿原神宮前駅から吉野線に乗り換えて50分。吉野駅に到着する頃には、車両には私たち以外誰もいなかった。それもそのはず、春は桜、秋は紅葉、冬は雪景色が興をそそるが、夏は…。せいぜい蝉の鳴き声ぐらいのものだ。


▲桜、そして杉。春は絶景かと思われる。
吉野駅からロープウェイで山上に向かい、そこから散策を始める。とにかく、人がいない。夏の平日に訪れるメリットは、それぐらいかと思う。しかし、神社仏閣は逃げない。秘仏、蔵王権現を本尊にもつ金峯山寺(きんぷせんじ)、南朝時代の後醍醐天皇の玉座がある吉水神社、そして車も通れない山道を抜ければ、後醍醐天皇陵のある如意輪寺。どれも堪能した。途中、如意輪寺に向かう途中に蛇を見た。とても久しぶりの気がする。

役行者(えんのぎょうじゃ)が始めたとされる密教修行の霊場、修験道のはじまりの地でもある吉野だが、そこには何かが始まるときのワクワクした気分などなく、どこかもの悲しい。それは、吉野の歴史が敗者の歴史だからかもしれない。源義経や弁慶ゆかりの品々、あるいは後醍醐天皇や楠木正成など南朝ゆかりの品々。吉水神社の中、後醍醐天皇の玉座をじっと見つめていたら、ひんやりとした風が流れた。

「夏草や兵どもが夢の跡」と平泉で詠んだのは芭蕉であったが、芭蕉の門人、各務支考(かがみしこう)は「歌書よりも軍書にかなし吉野山」という句を残している。春、千本桜を褒め称えるのも悪くないが、夏は「軍書にかなし」を感じられる季節だと思う。

いにしえの戦偲びて法師蝉 修司

2006年08月24日

●★告知★ おいでー奈良!(4)秘境・十津川

奈良は左上4分の1しか人が住んでいない、という話をしたが、先日下半分、南部に突撃してきた。十津川村(とつかわむら)。面積は都道府県40位ぐらいの奈良にして、日本最大の面積を誇る村である。古くより自治が発達しており、また南朝の志士と交流があったことから、明治維新前後には尊皇派として多くの村人が活躍した。彼らは十津川郷士と呼ばれ、その活躍もあってか、明治時代には村人全員が士族となったという。

歴史はさておき、寮の後輩とキャンプに向かう。奈良県中部の中核都市、橿原から出発し、五條を経由して哀愁のルート168。3時間弱、100キロも走れば十津川に入る。途中、ヘアピンカーブの連続に、頭文字Dを想起する。


▲谷瀬の吊橋
ここまで奥に入ると、さすがに自然がすごい。もともと山が非常に険しい地域なのであるが、集落付近にある十津川(熊野川)のせせらぎは、辺り一面の緑を映して、ところどころ青緑色に輝く。沖縄の青い海を彷彿させる、あの青である。日本最長の鉄線橋、谷瀬の吊橋から見下ろす景色はすばらしいの一言(と、共に襲う揺れ)。国道からはずれた細道を、10キロ以上進んだ先にあった「笹の滝」がしぶきを巻き上げる姿にも恐れ入った。

温泉から見上げれば満天の星。あまりに多すぎて、どれが北極星かも覚束ない。河原で酒を飲みながら、こんなところで暮らすのも悪くないと思った。もちろん、現実的にはさまざまな障壁があるわけだが、携帯の電波も(集落付近なら)3本立ってたし、ケーブルTVでブロードバンドもできるみたいやよ。

2006年08月08日

●★告知★ おいでー奈良!(3)まだやねん。

先日しばし帰省していたのだが、1日にPL花火芸術を観に行った。東京からわざわざ友達呼んだのだが、何とも大味な花火で、構成らしいものがあまりない。まあ、本来の経緯が経緯だけに盛大にやればそれでいいのかもしれない。

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▲法隆寺西院伽藍の大講堂、国宝。
翌日は友達連れて法隆寺に行く。結構家から近いので、よく行く。しかし、だからと言ってものすごく詳しいわけでもない。しゃべくってる奈良交通のガイドのおばさんを横目に、もう少し僕にはスキルが必要やなあ、と反省した。

しかし、一度行ったことがある場所ばかりでもない。奈良県の左上4分の1は結構極めた感があるが、当麻寺はまだだし、南部では吉野はちゃんと観光したことがない。宇陀のほうでは長谷寺室生寺と残しているし、吉野のさらに向こうも頻繁に行く場所ではない。誰かそういう奈良のディープな観光を一緒にしてくれる人を募集してます

2006年07月26日

●★告知★ おいでー奈良!(2)トウカエやねん。

おいでーな、奈良!ということでお送りする第2回。今回は奈良には珍しいシャレたイベント、なら燈花会(とうかえ)の宣伝をしておく。

燈花会は1999年に始まった新しい行事で、8月の10日間、奈良市の奈良公園近辺がろうそくのあかりでライトアップされるという、何とも幻想的なイベントである。猿沢池、興福寺、国立博物館、東大寺、春日野園地。煌々ときらめく明かりを見ていると、何故か落ち着く。

今年は8/6-15ということらしいので、私は帰省の都合上14か15あたりしか参戦できないのだが、これは結構お勧めである。わざわざ東京から出てこいとまでは言わんが、大阪あたりに住んでる人は、夕方になったら近鉄電車でぶらりと来てみるといい。いつもの奈良公園とはひと味違う落ち着きに、少し癒されて家路につくこと請け合いである。別にデートじゃなくてもカップ酒片手でええと思うよ。あんまりボーっとしてると鹿がニョッと顔をだしてきて、びっくりするけど。

2006年07月20日

●★告知★ おいでー奈良!(1)狭いねん。

大阪から越してきたのが1987年夏やから4歳のとき。18の春に上京するまで15年、奈良に住んできたわけなんやけど、意外と奈良のことは知らん。大阪の中心部まで電車で30分もかからんニュータウンに住んどったし、両親とも生まれ育ちは他府県。中高が奈良市内やったから、多少は寺とかも行ったけど、決して詳しいほうやない。ということで、今年は初心に戻って、故郷奈良を旅することにしました。京都とは違うのんびりした古都。あふれる国宝。そして栄光の陰にどよめく謎の数々…。不思議なものがうんと凝縮されたのが、奈良。5回ぐらい特集してみます。まずは告知。

[おいでー奈良キャンペーン]
会期:8/15~9/25
内容:ぼくがヒマなときは一緒に観光(付け焼き刃ガイドします)。よかったらうちの実家に泊まってください。酒ぐらいはあります。その他豪華サービスあるかも?詳細連絡されたし。9月は平日は教育実習で忙しいけど、何とかなるんちゃうかな。

何から話したらいいんかようわからんけど、奈良のポイントは「狭い」ことだ。地図でも見てもらうといいが、いわゆる日本人がイメージする「奈良」というのは、奈良県全体の左上4分の1ぐらいの部分であり、あとはほとんど山(スギ)である。県内全体に鹿が生息しているというのもウソで、南部の山奥に野生の鹿がいる以外は、奈良市内のごく一部に放し飼い?されているに過ぎない。たまに「人間よりシカが多い」と勘違いしてる人がいるけど、オーストラリアちゃうねんから…。

奈良県が狭いことはデータが証明している。可住地面積850平方kmは全国最下位。46位の鳥取県が912、以下山梨950香川991と続く。「人間が住む場所ではない」これが奈良の隠れた側面であるが、逆に言うと人間のいるところは密集していて、観光スポットも集まっていて移動しやすい、とも言える。というわけで、おいでーな、奈良!