●たぶん飲んでいる場合ではない
わけあって、いま昔の自分の小説を読み返しているのだが、そんなに変わっていない、ということに愕然とする。
それはつまり、諸行無常とはいえども、自分の思考スタイルや行動スタイルは大して変化しないまま、ジンセイは終わるということだ。
飲んでいるヒマがあれば他のことをしたほうがいいと思うのだが、なかなか人間そうもうまくいかず、結局できることは限られている。
そのなかで、生きる。
そろそろ小説の続きを書く頃かもしれない。
わけあって、いま昔の自分の小説を読み返しているのだが、そんなに変わっていない、ということに愕然とする。
それはつまり、諸行無常とはいえども、自分の思考スタイルや行動スタイルは大して変化しないまま、ジンセイは終わるということだ。
飲んでいるヒマがあれば他のことをしたほうがいいと思うのだが、なかなか人間そうもうまくいかず、結局できることは限られている。
そのなかで、生きる。
そろそろ小説の続きを書く頃かもしれない。
事実は小説より奇なり。何年この言葉と格闘してきたことか。
ええ、何度でも言いますよ。
事実は小説より奇なり。
携帯の送信履歴の底に眠っていた書きかけの小説を久々に読んでみた。引っ越しゴタゴタのせいで完全に止まっていたが、もう桜の季節になってしまった。
通勤途中に書くしかないか、と思って携帯にとりあえずデータを保管していたのだが、本当にそうなるかもしれない。いっそのこと「○空」みたいにしてしまうか。ああ、千手観音になりたい。
つっちー氏に紹介を受けたUSBホット手袋を土曜日に秋葉原で購入した。暖かくなる部分が手の甲にあたる部分なので、ものすごくホカホカというわけではないんだが、単に手袋をしているだけでも多少は効果があるので、まあ2000円の価値はあるんじゃないかなと思う。ただ、USBのコネクタ部分から2つケーブルが伸びて自分の手につながっている様はおかしい。
さて、今週土日で頑張る、はずだったのだが、全然ダメだった。書けないとその辺にある本を現実逃避で読み、さらに書けないというスパイラル。書く作業はすぐに成果が出ないのでしんどい。もう少し細かく区切るとか、もうこうなったら恋空に対抗して通勤電車の中でケータイで書くとか、そういった努力をせねばならんというとこまで来ている。
まあしかし、指摘があったように「締切がどうこう」というものでもないのは事実である。小説が書き上がるまで今年やりたいことには手をつけないつもりでいたが、少し気長に構えてもいいのかもしれない。どっちにしても時間がないのは何とかしないといけないが。
そういえば土曜日の朝にNHKの「課外授業ようこそ先輩」で上橋菜穂子(『精霊の守り人』の人ね)が出ていて、結構ええことを言っていた。子どもにあるキャラクターを作らせ、そのキャラクターが好きな食べ物は何か?という問いを発していたのだが、これはまさにぼくが考えている「オブジェクト指向ノベルライティング」に一致する発想だ。
人物がいて、その属性として様々なものが付加されていく。そして、それら属性は実際には小説内に登場しなくても、その人物が生き生きと描かれるかどうかに影響する、というのがぼくの予想である。四の五の言ってるヒマあったら書けよ、と言われそうだが、とにかく小説は「何を描かないか」「描かない部分にどれだけ思いを馳せるか」に尽きる。めんどくさい?ああ、とてもめんどくさいですよ。
三連休でそこそこ書き進める予定だったが、結局原稿用紙10枚ぐらいしか書けなかった。土日まるまる他のことでつぶれたのが原因だが、まあ仕方ない。27日のお年玉くじに間に合えばいいかなぁと楽観的に構えてみる。
というか、予想外に進捗を妨げているのは「うちの家が寒い」ということだ。この週末ついにカーテン2つ目を購入したりすきま風防止発泡スチロールを買ったりしてみたのだが、どう頑張っても手にぬくもりは来ない。冷え症を何とかしろという話なのだが、仕方なしに普段のPCから離れ、古いキーボードの壊れたノートPCにキーボードをつないで炬燵で頑張る。液晶が遠いのが気になるし、炬燵は炬燵で眠くなるのだが、これが限界だ。
作品自体は今週末の土日と来週の土曜日とで、とりあえずは書き上がるのではないかと思う。ただ、推敲を考えるともう少し延びそうな気配もあり、そのときは昔の小説でもアップロードして口を濁すかもしれませんが、なにぶん暖かい目で見守ってくださると有り難い。ぼくのことは気にせず「鹿男あをによし」でも観ててくださいな。
小説というのは原稿用紙を前にして「さて、何を書こうか」と考えるものだと思っている人もいるかもしれないが、ぼくはそれは少し違うと考えている。むしろ「何を書かないか」が重要なのである。
人間が一日に見聞きし、話したことをすべて描写すると文庫本1冊ぐらいになるらしい、という話を聞いたことがある。つまり、小説というのは、そこからいかに切り捨てて描くか、というところから始まるのだと思う。シナリオらしきものが存在するすべての芸術はそうではないか。
書かれてない部分に考慮が行き届いていない小説は何がまずいのか?色々ありそうだが、一番は「思わぬところで不整合が生じやすい」ということだと思う。物語の自然な流れというのは、読者が行間を補完することで成立しているのだから、その「読者の想像力」を先取りする意味でも、作者は書かれていない部分に思いを馳せる必要がある(これが無意識のうちにできる人は、小説を書く才能があると言ってよい)。
今回のぼくの作品はある1日を描いている。そうは言っても、例えば作者がトイレに行くシーンが何回も登場するということはない。トイレに行くシーンはどうして描かれないのか?どうして描かないのかを考えて書かないのと、単にみんなが書いてないから書かないのとでは、だいぶ違う。そしてほら、これで「主人公がトイレにばかり行く小説」が書けるでしょ。
作品のほうは設計段階をこれぐらいにして、ぼちぼち書き始めてみようかと思ってます。
とりあえず書きたくなってきた。
結局小説は現在1枚も書けていない。原因としては2つ挙げられる。
1.割り込み作業の見積もりが甘かった。
年末にもう少し時間を取れると思っていたが、最後の三連休にも年末にも他に急ぐべき作業が発生した。そのあたりも含めて見積もりを立て直す必要がありそう。
2.「発想」にかける見積もり時間をうまく定められなかった
コンピュータのシステムを作る場合は、「要件定義」「設計」「製造」「検査」と、時間によって比較的簡単に作業を切り分けることができる。しかし、それはどうやら「作りたい物が何か」ということがだいたい決まっている場合だけにあてはまるようで、執筆にはきれいに適用できなかった。小説のひとつひとつの細かいプロセスは、大きな項目から演繹的に導かれるものではなく「想像力(創造力)」という不思議な箱から突然飛び出してくるものだった。
いまさら反省しても遅い気がするが、このプロジェクトは「できませんでした!」で終わりになるものじゃないので、年が明けても続きます。とりあえず現状は、設計書が40%ぐらい完成したところ。登場人物など大筋は決まったが、描写のディテールは未定といったあたりだ。ディテールは悩んでも仕方ないところもあるので、飲みながらエイヤッと決めてしまい、三が日が明ける頃には執筆開始としたい。ひとまず今から予定表を再び書き直します。あー、紅白見たい。毎年31日は実家のパソコンで何かしてる気がする。
今日はひょんなことから有休を取ったので、仕切り直し。つごう6時間ぐらいは小説のことを考えて過ごした。コタツの中で唸りつつ、コーヒーや酒を飲みつつ、がんばる。がんばった内容というのは、
1.既存の小説の構造分析
2.自分の小説のストーリーづくり
である。ようやく2に関して、文書におこせる程度にまとまってきた。土日でもう少し形にできれば、今日仕切り直した開発線表どおり12/31に完成する、はず。本当はウェブサイトのリニューアル含めて年内にやりたかったが、それは年明けになりそう。
今日改めて感じたのは、いままで俺は何やってきたんだろうな、ということ。
一応文芸サークルで代表とかやっていたが、重要なことは何一つわかっていなかったのではないか。そして「重要なこと」が何なのかはまだよくわかっていない。ただ、目の前にある文章を自分の頭で分析すればよい、ということはわかった。これは結構面白い。きっと先人たちの研究と同じようなことをやってるんだろうが。
思ったよりも平日に時間がとれないことが判明したので、今週からは電車の中でがんばっている。立ったままノート広げて唸っている坊主メガネスーツを都内で発見したら、たぶん私だと思ってください。
中身の話をちょっとだけすると、当初考えていた小説の原型からはかなり変化してきた(特にストーリーは)。いろいろなものを取り込みながら頭の中で何かが成長している。あとは登場人物の設定をもう少し。これは今週末に。(続)
今週も忙しくて時間を割けなかった。しかし、1つだけ気づいたことがある。次回からは設計書、と言ったが、よく考えるとその段階まで行ってない、ということである。
何というか、小説の根幹となる展開が頭でイメージできていない。
これは、時間をかけて理論的に整理していればどうにかなる、というものでもない。
むしろ、発想力である。あと5分でいいネタが思いつくかもしれないし、あと5年かかるかもしれない。困ったことだ。
ただし、あと5年、にならないように努力することは可能である。ビジネスにも幾多の「発想法」が考案されたように、小説にも「発想法」はある。ぼくの場合はそれは、いろいろな芸術作品に触れることである。
そう思ってこの週末はいろいろと過ごした。あれ、その段階は「調査」で先週終わったんじゃなかったっけ?という疑問をお持ちの方もいるだろうが、自分のミスを早い段階で認めることは、良いプログラムを書くためにはとても重要なことだ。小説もしかり、ではないか。(続)
忙しいときに限って恋がやってくる、という歌がどこかにたくさんあったような気がするけれども、小説を書こうという時に限って仕事が忙しくなる、という歌は知らない。
困ったことだが、地道にやるしかない。
すでに企画倒れじゃないか?という意見を某友人から頂戴したんだが、決してそんなことはありません! 確かに24日ぐらいまでに100時間は多少厳しいけど、年末の余裕があるので、年内完成は大丈夫ではないかと…。エクセルのワークシートくんはそう申しております。
さて、今日は炬燵を買った。炬燵で本棚の小説を4,5冊パラパラと読んでいたら、知らぬ間に寝ていた。炬燵恐るべし。
まあとにかく、いちおう今日で調査の15時間は使い果たしたので、これから2週間は設計となる。いちおう12/9までに35時間は確保してあるが、どうなるやら。そして、本当に調査が終わったのか?という疑問もある。以下箇条書き。
・どんなストーリーになるのかは、だいたい決まった。
・40~50枚で構成する。
・後半にキーとなる会話があって、そこのフレーズはかなり大事だと思うが、詳細は決まっていない。
・当初思っていたよりも、ほんわかした話になりそう。
次回からは「設計書をいかに書くか」という話。(続)
書きたい小説の構想は、いくつかストックがある。
それがどの程度面白くなるかは別として。
最近会社で作文教室というのが週に1回ほどあり、なかなか面白い。
そのなかで、講師の先生が用意した資料に石川淳の話があった。
硯も墨も用意してさあ書くぞ、となっても、書きたい文字がない奴には何の意味もない、といった旨の話である(現物をいま見ていないので少し誤解しているかも)。
同じような話を、こないだ某コンピュータ企業のイベントで聞いた。
Content is King. と彼は言った。どれだけウェブが発達したとしても、やはり大事なのはその形式ではなく中身だ、と。
この連載は彼らに反旗を翻すわけではない。
確かにコンテンツはキングだと思うが、キングだけではチェスはできない、ということである。
そして、上で書いてきたことは今日のブログのネタを埋めあわせるための与太ではない。むしろ、今回の小説の主題に近い。
少し複雑な構成になるが、主人公にはチェスのキングになってもらう。
2週連続木~日4連投飲み会で、藤川球児か久保田かというぐらい疲れた。
土日も予定したほど小説に時間が割けず。絶えず見積もりのやり直しを迫られる。
さて、調査、設計、製造、検査と4分割したとして、それぞれにどの程度時間を割いたもんだろうか。
いちおう過去最高では、1日で原稿用紙20枚ぐらい書いたことはある。そのときは設計しつつ製造していたので、何を書くか決まっていれば、もう少しいけるのではないかという気もする。
12時間で20枚として、50枚の小説に30時間か。1時間2枚弱。まあそれぐらいかなぁ、という気がする。割り振ると、
調査15 設計35 製造30 検査20
という感じかな。
とりあえず調査に入る。実はこれを書きながら同時並行しているわけだが、要するに読書です。(続)
100時間をどう割り振るか。とりあえず、以下のようなプロセスを想定する。
1.調査…書くために必要な資料集めなど
2.設計…小説の構造を書く。ちゃんと設計書にする。
3.製造…設計書をもとに、実際の文章を書く。
4.検査…当初の目標を達成できたか、推敲する。
このうち、2と3の間、あるいは3と4の間に「レビュー」が入る可能性もある。プログラム作成において、レビューが果たす役割は非常に大きい。自分だけが書いていては偏ってしまったり、手落ちがあったりする。それをレビューという場で複数人に見せることで、よりよいものにするのである。このブログでも設計書をPDFで公開して…など考え中である。
極端に言えば、小説は一人で書くものではない。
このことを、多くの人は誤解しているのではないか。(続)
266時間をどう割り振るか、という話をしているうちに飲み会が続き、1週間が過ぎた。もう30時間使ってしまったので、残り236時間。さて。
正直、どれぐらいの時間をかければ、どれぐらいの小説が書けるかというのは、よくわからない。だから思い切ってここは「100時間」としてみる。100時間で書けるサイズの小説を書くということである。ホンマは200時間ぐらいかけられればいいんだが、あいにく忙しい。仕事も忙しくなりそうな気配をしている。
で、ここからが重要。小説づくりのプロセスである。みなさんは、小説を書くという行為をどんな風に想像するだろうか。まあ「ストーリーを考えて」「書く」という程度だろう。大学時代に書いていた私もそうだった。
しかし、SEとやらになって、ものづくりのプロセスを学んだ結果、ここはそれに則ってみたいと思う。コンピュータでのシステム設計と同じように、小説を書く。これならば、特殊な才能はいらない(出来上がりの品質は、やっぱり保証できないけど)。
コンピュータのものづくりというのは、建築業界のものづくりに似ているらしい。100時間でバベルの塔とは言わないが、3階建ての雑居ビルぐらいを目指す。(続)
本当は、
1.どれぐらいのボリュームの小説を書くから
2.これぐらい時間をとる
という見積もりをするのが、あるべき小説家の姿のような気がする。けれど今回は、
1.年内に1作品を仕上げたいから
2.それまでに完成するサイズの小説を書く
という、恐ろしく屈折した見積もりをしたいと思う。
まずは、自分の生活スタイルを分析する。平日パターンと休日パターンがある。
A:平日パターン 余暇時間2h
6:00- 7:00 朝支度
7:00-20:00 出社~しごと~帰宅
20:00-21:00 晩飯
21:00-23:00 ◆自由時間◆
B:休日パターン 余暇時間10h
7:00- 9:00 朝飯&家事
9:00-12:00 ◆自由時間◆
12:00-13:00 昼飯
13:00-18:00 ◆自由時間◆&昼寝1h
18:00-19:00 晩飯
19:00-22:00 ◆自由時間◆
まあ、寝る時間と会社行ってる時間とメシの時間を抜いてこんなもんである。ちょっと休日は余裕をもたせたか。
これで12/24ぐらいまでざっと計算する。Excelで表をつくる。266時間と出た。さて、これをどう割り振るか。(続)
前回「久々に小説を書く」と宣言したんだが、小説というのは特別な人間にしか書けない、というものではないと思う。まあ、書きたいテーマというか、書こうという動機がなければ書けないと思うけど、それにプラスしてちょっとしたテクニックがあれば、小説は書ける。作品の質は保証できないが。
というわけで、ぼくがあと2か月でどのように作品を書いていくかをずっと記録してみることにした。本邦初とは言わんが、かなり斬新な「小説の書き方教室」になるんじゃないかと思う。
SEになってプログラムとやらを書いたり、システムを設計したりするようになったのだが、小説も設計が命なのではないかと思う。もちろん、文章の技巧が文学の歴史を彩ってきた事実はあるが、それは競馬で言うところの「馬7:騎手3」の騎手だと考えている。風景描写や状況描写の美しさ、あるいは文体の斬新さには限界がある。「何を書くか」と「どう書くか」の2つは、根本的には前者が優越するのではないかと思う。
もちろん、その形態を理解した上で敢えて逸脱する、みたいな手法もあるのだが、それはもうちょっと先の話にしたい。
まずは、執筆計画を立てるところから始まる。(続)